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いきなり馬鹿呼ばわりされて、キスイは面食らう。
今日は、先日……あれはもう立派な恋愛相談だろう、開き直ることにした……をした友人に、無事その人と付き合うことになったと報告しにきたのだ。彼女のおかげで自身の不可解な気持ちが恋心なのだと認識できたのだから、彼女に礼を言わないと、と思っていたのだ。だが、飛んできたのは怒号。
聞くと、彼女はまだ告白を躊躇っているらしかった。
言わないのか? と首を傾げたキスイに、彼女は「やっぱりキスイちゃんは乙女心がない」とふてくされた。乙女心は確かに身に付いてる自信はないが、それでも成就しそうな恋が目の前でくすぶっているのは少し気になる。
そこまで考えて、はたと気がつく。
そういえば以前はそんなことなんて考えもしなかった。やはり影響は知らず知らずのうちに出ているのだろうか、想い人の顔を頭に思い浮かべると急に恥ずかしくなった。
百面相をしていたキスイをじっと見ていた彼女は、先ほどの怒り方が嘘のようににんまりとしながら身を乗り出す。
「ねぇねぇ、もうキスはしたの?」
その言葉に、キスイは盛大にむせた。
いきなり何事かと視線をやると、彼女は楽しそうに笑っている。
「だって、この間『最初にキスした人が王子様』なんて言ってたんだもの。気になるじゃない」
そんなことを言っただろうか。言ったとしても、今思えば恥ずかしい台詞だ。初心を通り越して馬鹿なんじゃないか、と自身をなじりたい気分になる。
……まぁ、その幻想は確かに未だに捨てきってはいないのが恥ずかしいところなのだが。
「ボクは、別に急いで恋をしているわけじゃないし……個人のペースでいいんじゃないかな、そういうのは」
苦笑しながら言うと、彼女の目が丸くなる。
そして、いつだったか彼女に言われた台詞を、再度言われた。ただし、続く言葉は正反対だったけれども。
「キスイちゃん、変わったね……なんていうか、女の子みたい」
「……キミはボクの性別を何だと思ってたんだ?」
「キスイちゃんって性別」
なんだそれは、と笑うと、彼女は急に優しげな笑みを浮かべてキスイの頬を手のひらで覆う。彼女の肩に乗っていた髪の毛がさらさらと垂れて、それがひどく美しいと思った。
「私たちの集落を守ってくれた、男の子みたいな無理してる女の子。女の子じゃいけないってずっと自分のこと責めてた、女の子」
「それは……」
「でも今は、恋したり、甘いものすごく美味しそうに食べる、普通の女の子。……いい加減、男装やめたら?」
習慣はどうしようもないよ、と苦笑してから……キスイは彼女の肩に、頭を預ける。
すっかり春の香りのする風が心地よくて、このまま身を任せれば眠ってしまいそうだ。
「ボク、変われたかなぁ」
うん、と小さく頷く彼女に少しだけ笑みを浮かべてから、キスイは瞳を閉じる。
おめでとうキスイちゃん、と小さく呟かれたような気がして、ついでに晴れているのに彼女の顔の下の芝生に雫が光っているような気がしたが……胸いっぱいのむずがゆいような想いと、春の風が眠気を誘って、彼女の顔を満足に見ることはできなかった。
夢と現実の境目で、キスイはやけに幸福感に満ちていたことだけははっきりと覚えていた。
同盟の本拠地でもある、この希望のグリモアに程近い街はとても賑やかだ。
キスイのような格好……少女のばればれの男装であったりしても、奇異な目で見られることは少ない。それ以上にユニークな服装の者が行き交っていたりすることがあるからだ。
この光景を見ると、実に異文化が混ざりあった不思議な街だとキスイは思う。
キスイが足を向けるのは、甘味の立ち並ぶ店。
先ほど思った通り、やはり異文化が入り交じっている不思議な街だ。甘味も楓華の餡を使った見た目に華やかな和菓子や、ワイルドファイアの果物の砂糖固め……これはかなり大きい、などどれも目移りしてしまう。
最近では、馴染みのシュークリーム専門店にイチゴ味が入ったとも聞く。手っとり早くそちらを買ってしまおうか、などと考えていると後ろから来た人に背を押されてしまった。
「あ……ごめんなさい」
邪魔だっただろうか、と思いろくに視線を向けないまま立ち去ろうとすると、腕を捕まれた。
何事かと思い視線、というか目線を上げると、そこには見知った顔がいた。
「びっくりしたぁ、あんた全然変わらないのねぇ」
「……そっちこそ。全然変わらない」
出会ったのは、昔世話になっていた友人だ。
追っ手のいなくなった奉仕種族の集落で、意中の男性を見つけて晴れて幸せになった女性。空中分解のような形で集落が解散してしまい、居場所の無かったキスイを暫く置いてくれた優しい人だ。新婚まっただ中だったというのに。
「旦那さんは、元気にしてるか?」
「元気すぎて倒れるんじゃないかと心配する毎日よぉ」
「お子さんとかは……」
「あー、駄目駄目ぇ。あの人、あんたのこと自分の娘だと思ってるから。この間の寝言で『キスイちゃんが怪我して帰ってきたぁ』って泣いてたからねぇ、ありゃもう病気だわ」
その言葉に、思わず笑みがこぼれる。
確か、希望のグリモアに誓いを立てて冒険者になると言って独立しようとしたキスイを真っ先に止めたのはこの友人の旦那さんだった。
だからこそ、愛情が深くなってそのままこの友人の家に入りかねないうちに冒険者になって独立しようと思ったのに。相変わらずの様子で、何だか気恥ずかしいような気もしなくもない。
「ねぇねぇ、あんた今、家どこに住んでるの?」
「あ、えっと……街からちょっと外れた、賃貸の一軒家に一応住まいは構えてるけど……多分、訪ねられてもいないと思う」
「あー、なるほどねぇ、冒険者としての勤めを果たすべく西から東へ……」
「じゃなくて」
そういえば独立すると言った割にはあまり冒険者らしいことをしていないな、と思いつつも、それは横に置いておいて。
居心地のいい場所ができたから、そこに入り浸ってると言うと、友人は少し寂しげに笑った。
「居心地のいい場所、できたんだ」
「うん」
「そっか。……旦那も、喜ぶよ。きっと」
次に告げた「うん」は、言葉にできているか正直わからなかった。
「でも、私たちのうちにも、たまには寄ってよねぇ。家族、なんて傲慢なことは言わないけどぉ……共に、苦しい時期を乗り越えた仲間、でしょう?」
「そう……だね。じゃあ近々、伺うよ」
よろしくねぇ、と笑う彼女は、集落にいた頃よりも女性らしさが増して綺麗に感じる。
先日会った年の近い彼女も、大人びたように思う。
……自分は、少しは変われているだろうか。それとも、これから変わるのだろうか。
友人は、キスイの腕に少し大ぶりな箱を押しつけた。これは何かと問うと、友人は
「頑張ってるキスイに、ご褒美」
頑張ってるわけでは、と言いかけたが、それを待たずに友人は踵を返して去って行ってしまった。
人通りの少ない裏路地に入ってその箱の中身を確かめると、キスイが贔屓にしているシュークリーム専門店のシュークリームが、ずらり。
新作のイチゴから、メロン、バナナ、カスタード、以下略。
一通り揃っているのを見て、笑顔が顔に広がるのを感じながら……キスイは、はたとあることに気がつく。
キスイがあの通りに立ち往生しているのを確認してから、このシュークリームを箱詰めして貰って、キスイのもとに戻ってくる余裕が、あの友人にはあったのだ。
「……どれだけ立ち往生してたんだろう、ボク」
そして何故そこまで夢中になっていたのか。
複雑な思いをしながらも、キスイは大ぶりな箱を抱えて家路を辿った。
お祝いの言葉を、沢山貰った。プレゼントまで、貰ってしまった。
……本当に、ありがとう。
この場で言うのも何だが、幸せな数日間だった。
多分ボクは、来年も今年の誕生日のことを思い出して慈しむのだろうな。それほど、嬉しかった。
……奮発して、菓子店で前から気になってた特大シュークリームを自分のために買ってきたのは、その、内緒だ。(少し目逸らし)
「かあさん」
幼い声に起こされて、女性はうっすらと瞳を開く。その瞳の焦点が少女を捕えると、目線ははっきりと少女に注がれた。女性は少女の頭を撫でて、慈しむかのように名前を呼ぶ。
「キスイ。……怖い夢でも、見た?」
こくりと頷く少女の頬に涙の跡を見てとって、だがしかし夢の内容を聞くような真似はしない。
娘である少女は、いつも同じ夢に苦しまされている。自分たち、奉仕種族が生贄として大神ザウスの名のもと捧げ殺される夢。少女は、仲の良かった年上の女性をそうやって捧げられてから毎日のように同じ夢を見ているのだ。
無言で抱きよせると、少女も何も言わずに腕の中に収まる。ひく、としゃくりあげる喉を落ちつかせるように背中を撫でてやると、やがて嗚咽は大人しいものへと変わっていった。
「かあさん、お話……また、何かお話、聞かせて」
少女がぐずると母の話をせがむのは最早癖のようなものだ。
おかげで、少女は奉仕種族にしては文字の読み書きは劣悪環境にあるとは思えないほどに発達している。多分、身近な奉仕種族の大人よりも下手したらできるかもしれない。それも一般より下レベルなのだけれど、女性はただ単純に娘の発達が喜ばしかった。
「そうねぇ、じゃあ、キスイのお話でもしようか?」
「わたしの、お話?」
少女が首を傾げると、その潤んだ瞳が光を別の角度から反射して黄色く見えた。
「キスイの瞳は、灰色でしょう? でもその瞳は、本当は七色になるのよ」
「……かあさんって、嘘つきなのね」
「本当よ。ほら、今は黄色に見える。さっきは緑色だったわ」
微笑んで告げると、少女はぱちくりとその瞼を忙しなく瞬きした。直後、何か身の回りに姿を映せるものはないかと探したが結局見つからず、少女は母の胸に懐いてほんとう? と問う。女性は肯定の言葉を発して、しかしやはり少女は信じず、「嘘つき」と笑った。
「ずっとね」
女性が言葉を発するのを、少女はただ静かに聞いていた。
「ずっと、名前が決められなくて。でもね、貴女の目が見えるようになった時、本当は灰色だったのに……何故か、私には煌めいた緑色に見えたの。不思議ね、昨日のことのように思い出せるわ」
「だから、キスイ?」
「そう、私の名前……緑って意味の、スイって名前を絶対入れようって思った。そうしたら、『絶対この子はキスイって名前!』……って思ったのよ」
女性が微笑むのに対して、少女は少し恥ずかしいのだろう、居住いを正してから女性に言葉を告げる。
「……わたしは、かあさんに祝福されて生まれたのね」
「そうよ、大好きな私の娘だもの」
その言葉に、少女は破顔して笑った。
その2日後だっただろうか、列強種族から逃げる計画が、奉仕種族の女性陣の中で立案されたのは。
その時、キスイは絶対に母と一緒に逃げて、幸せな生活を送ろうと思っていた。
結局は叶わなかった夢だけれど。
母の言う『不思議なこと』と同じように、あの夜のことはキスイも昨日のことのように思い出せる。