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同盟の本拠地でもある、この希望のグリモアに程近い街はとても賑やかだ。
キスイのような格好……少女のばればれの男装であったりしても、奇異な目で見られることは少ない。それ以上にユニークな服装の者が行き交っていたりすることがあるからだ。
この光景を見ると、実に異文化が混ざりあった不思議な街だとキスイは思う。
キスイが足を向けるのは、甘味の立ち並ぶ店。
先ほど思った通り、やはり異文化が入り交じっている不思議な街だ。甘味も楓華の餡を使った見た目に華やかな和菓子や、ワイルドファイアの果物の砂糖固め……これはかなり大きい、などどれも目移りしてしまう。
最近では、馴染みのシュークリーム専門店にイチゴ味が入ったとも聞く。手っとり早くそちらを買ってしまおうか、などと考えていると後ろから来た人に背を押されてしまった。
「あ……ごめんなさい」
邪魔だっただろうか、と思いろくに視線を向けないまま立ち去ろうとすると、腕を捕まれた。
何事かと思い視線、というか目線を上げると、そこには見知った顔がいた。
「びっくりしたぁ、あんた全然変わらないのねぇ」
「……そっちこそ。全然変わらない」
出会ったのは、昔世話になっていた友人だ。
追っ手のいなくなった奉仕種族の集落で、意中の男性を見つけて晴れて幸せになった女性。空中分解のような形で集落が解散してしまい、居場所の無かったキスイを暫く置いてくれた優しい人だ。新婚まっただ中だったというのに。
「旦那さんは、元気にしてるか?」
「元気すぎて倒れるんじゃないかと心配する毎日よぉ」
「お子さんとかは……」
「あー、駄目駄目ぇ。あの人、あんたのこと自分の娘だと思ってるから。この間の寝言で『キスイちゃんが怪我して帰ってきたぁ』って泣いてたからねぇ、ありゃもう病気だわ」
その言葉に、思わず笑みがこぼれる。
確か、希望のグリモアに誓いを立てて冒険者になると言って独立しようとしたキスイを真っ先に止めたのはこの友人の旦那さんだった。
だからこそ、愛情が深くなってそのままこの友人の家に入りかねないうちに冒険者になって独立しようと思ったのに。相変わらずの様子で、何だか気恥ずかしいような気もしなくもない。
「ねぇねぇ、あんた今、家どこに住んでるの?」
「あ、えっと……街からちょっと外れた、賃貸の一軒家に一応住まいは構えてるけど……多分、訪ねられてもいないと思う」
「あー、なるほどねぇ、冒険者としての勤めを果たすべく西から東へ……」
「じゃなくて」
そういえば独立すると言った割にはあまり冒険者らしいことをしていないな、と思いつつも、それは横に置いておいて。
居心地のいい場所ができたから、そこに入り浸ってると言うと、友人は少し寂しげに笑った。
「居心地のいい場所、できたんだ」
「うん」
「そっか。……旦那も、喜ぶよ。きっと」
次に告げた「うん」は、言葉にできているか正直わからなかった。
「でも、私たちのうちにも、たまには寄ってよねぇ。家族、なんて傲慢なことは言わないけどぉ……共に、苦しい時期を乗り越えた仲間、でしょう?」
「そう……だね。じゃあ近々、伺うよ」
よろしくねぇ、と笑う彼女は、集落にいた頃よりも女性らしさが増して綺麗に感じる。
先日会った年の近い彼女も、大人びたように思う。
……自分は、少しは変われているだろうか。それとも、これから変わるのだろうか。
友人は、キスイの腕に少し大ぶりな箱を押しつけた。これは何かと問うと、友人は
「頑張ってるキスイに、ご褒美」
頑張ってるわけでは、と言いかけたが、それを待たずに友人は踵を返して去って行ってしまった。
人通りの少ない裏路地に入ってその箱の中身を確かめると、キスイが贔屓にしているシュークリーム専門店のシュークリームが、ずらり。
新作のイチゴから、メロン、バナナ、カスタード、以下略。
一通り揃っているのを見て、笑顔が顔に広がるのを感じながら……キスイは、はたとあることに気がつく。
キスイがあの通りに立ち往生しているのを確認してから、このシュークリームを箱詰めして貰って、キスイのもとに戻ってくる余裕が、あの友人にはあったのだ。
「……どれだけ立ち往生してたんだろう、ボク」
そして何故そこまで夢中になっていたのか。
複雑な思いをしながらも、キスイは大ぶりな箱を抱えて家路を辿った。
「かあさん」
幼い声に起こされて、女性はうっすらと瞳を開く。その瞳の焦点が少女を捕えると、目線ははっきりと少女に注がれた。女性は少女の頭を撫でて、慈しむかのように名前を呼ぶ。
「キスイ。……怖い夢でも、見た?」
こくりと頷く少女の頬に涙の跡を見てとって、だがしかし夢の内容を聞くような真似はしない。
娘である少女は、いつも同じ夢に苦しまされている。自分たち、奉仕種族が生贄として大神ザウスの名のもと捧げ殺される夢。少女は、仲の良かった年上の女性をそうやって捧げられてから毎日のように同じ夢を見ているのだ。
無言で抱きよせると、少女も何も言わずに腕の中に収まる。ひく、としゃくりあげる喉を落ちつかせるように背中を撫でてやると、やがて嗚咽は大人しいものへと変わっていった。
「かあさん、お話……また、何かお話、聞かせて」
少女がぐずると母の話をせがむのは最早癖のようなものだ。
おかげで、少女は奉仕種族にしては文字の読み書きは劣悪環境にあるとは思えないほどに発達している。多分、身近な奉仕種族の大人よりも下手したらできるかもしれない。それも一般より下レベルなのだけれど、女性はただ単純に娘の発達が喜ばしかった。
「そうねぇ、じゃあ、キスイのお話でもしようか?」
「わたしの、お話?」
少女が首を傾げると、その潤んだ瞳が光を別の角度から反射して黄色く見えた。
「キスイの瞳は、灰色でしょう? でもその瞳は、本当は七色になるのよ」
「……かあさんって、嘘つきなのね」
「本当よ。ほら、今は黄色に見える。さっきは緑色だったわ」
微笑んで告げると、少女はぱちくりとその瞼を忙しなく瞬きした。直後、何か身の回りに姿を映せるものはないかと探したが結局見つからず、少女は母の胸に懐いてほんとう? と問う。女性は肯定の言葉を発して、しかしやはり少女は信じず、「嘘つき」と笑った。
「ずっとね」
女性が言葉を発するのを、少女はただ静かに聞いていた。
「ずっと、名前が決められなくて。でもね、貴女の目が見えるようになった時、本当は灰色だったのに……何故か、私には煌めいた緑色に見えたの。不思議ね、昨日のことのように思い出せるわ」
「だから、キスイ?」
「そう、私の名前……緑って意味の、スイって名前を絶対入れようって思った。そうしたら、『絶対この子はキスイって名前!』……って思ったのよ」
女性が微笑むのに対して、少女は少し恥ずかしいのだろう、居住いを正してから女性に言葉を告げる。
「……わたしは、かあさんに祝福されて生まれたのね」
「そうよ、大好きな私の娘だもの」
その言葉に、少女は破顔して笑った。
その2日後だっただろうか、列強種族から逃げる計画が、奉仕種族の女性陣の中で立案されたのは。
その時、キスイは絶対に母と一緒に逃げて、幸せな生活を送ろうと思っていた。
結局は叶わなかった夢だけれど。
母の言う『不思議なこと』と同じように、あの夜のことはキスイも昨日のことのように思い出せる。
愛を伝えることができればいいと言った彼女に、キスイははて、と首を傾げた。
さらさらと流れる小川。春の息吹が大地の花に命を吹き込みながらも、どこか寒そうに見えるのは気のせいだろうか。吹きつける風はまだほんの少しの冷たさを残しつつ首筋をくすぐり、キスイは首を竦める。
「好きなら、好きと言えばいいだろう?」
疑問を口に出したキスイの口を、彼女はしっ! と言って手で塞いだ。
その頬は林檎のように真っ赤で、どこか昔より大人びたような気がする。かつて友人だった……いや、今も交流はあるのだが、昔程べったりというわけにもいかなくなった彼女が少し遠くに行ってしまったように感じて、目を細める。
彼女はその真っ赤な頬を膨らませて、言う。
「キスイちゃんは恋を知らないからそんなことが言えるのよ」
「知ってる、それくらい」
つい売り言葉に買い言葉で反応してしまうと、「じゃあ言ってみてよ」と言われて言葉に詰まる。
恋という概念は知っている。自分以外の他人を好きになること。だが、それはあまりにもキスイの生活からは遠すぎて、上手く言葉に出来ない。
恋をしている人達は知っているが、他人から見れば幼いのであろう自分の前では、その者達の接触は親愛以上のものには見えなくて、キスイはついつい子供のようなことを口にしてしまう。
「……御伽噺では、お姫さまに最初にキスした人が、最後に結ばれる」
今度は、彼女がぽかんとする番だった。
直後、爆笑されてしまい、キスイは失言だったと思いつつも顔を赤らめてうるさい、と怒鳴る。
結局、耳年増なだけで何も知らない自分に恥ずかしくなりながらも、それ以上を知らないのだから本当に仕方が無い。それに、ランララの日に見かけたカップル達は皆物語に出てくるような美男美女ばかりで、本当にお姫さまなんじゃないかと思ったのだ。
彼女はまだひくついている腹を抑えて、キスイに問う。
「ねぇ、同盟の冒険者の人達って、すごく綺麗だったりカッコよかったりする人多いじゃない。誰か気になる人、いないの?」
「それは……外見をカッコいいとか美しいと思う時はあるが、ボクはそれよりも……えと、だから」
彼女はキスイの弱点である頭を撫でてきて、ん? と小首を傾げた。本当に、昔から頭を触られるのは弱いのだ。みるみるうちに羞恥で顔が赤くなってきてしまって、唇が震えて言葉が紡げなくなる。
震える唇で告げる言葉には、本当に力が籠っていなかった。
「……だから、ボクみたいな子供は、相手にしてもらえないって……」
言った途端、胸に何かが突き刺さったような気がした。ほんの少しの、針のような、棘のような痛みが。
(あれ?)
途端、何故かほろりと雫が頬を伝った。
彼女はそれを見ると、自分が頭を撫でたことでキスイが堪え切れなくなって涙を流したと思ったのだろう。ごめんね、と謝りながら肩を撫で擦ってくれる。
だがそれに俯きながら、キスイは何故自分がいきなり泣いたのかわからなかった。
風がいきなり、横薙ぎに吹いてきて髪をさらう。
キスイの短く切った髪の毛も、彼女の長い髪も風に捕らわれて、しかし頬に貼り付いた雫は吹き飛ばしてはくれない。
それが何故か腹立たしくて、キスイは雫で重たい瞼をぎゅっと瞑った。
また、頬に雫が流れた感触がした。
あの時一緒に、列強種族から逃げだそうとした半数は捕えられ、殺された。
あの暖かい腕で抱いてくれた、母上も。
柔らかな腕にトロウルの冒険者の屈強な腕が食いこみ、瞬間その場所の骨が折れたことが知れる。悲鳴と共にあの腕がボクを突き飛ばして、ボクは幼くして共に苦渋を舐めた大柄な友人の腕に収まる。
『かあさんっ……やだぁ、かあさん!』
『今は見ちゃ駄目よキスイ! 逃げることだけ考えて!』
『わたっ……わたしが、かあさん助けなきゃ!』
『冒険者に奉仕種族が敵うと思ってるの! また生贄として捕まるわよ!』
言葉だけが脳裏を反芻して、やがてその双眸はゆっくりと開かれた。
見上げるはテントの天井。嫌な夢を見た、と一人天井を睨んでいると、にわかに集落が騒がしくなったのが聞こえた。
集落と言っても20人程度の、奉仕種族の集まりだ。絞り尽くされるものはとうに絞り尽くされたというのに、何故野盗はこんな場所を狙うのだろう。予程見る目が無いのか、生活に困っているのか。
悲鳴が聞こえて、慌ててテントの入口から外を窺うと一人の仲間が明らかに野盗と思しき集団に振り払われ、地面に膝をついていた。
「なんだなんだぁ? ここはぁ? 女子供しかいねぇじゃねぇか!」
「そっちの方が好都合じゃねぇの、食って殺して金取っておしまいでしょう。いっつも」
「そりゃあそうだ。おい女」
野盗のリーダーと思しき男が先程振り払った女性に剣の矛先を向ける。
「最初はおま……」
いいかけたと共に、その野盗の脇腹に剣先が食いこんだ。
テントから奉仕種族であるとは思えないスピードで、脇に大ぶりのナイフを抱えたキスイの体当たりの一突きだった。
リーダーの突然の襲撃に仲間達が一斉に武器を手にするが、その行く手をやはり武器を携えた集落の女性数人が塞ぐ。
一方ナイフで野盗のリーダーを突いたキスイは、傷口を広げるようにしてナイフを捻る。苦痛の表情と共にキスイを見降ろした野盗は、自身を傷つけた人物が子供だと悟り激昂する。
「この、ガキがぁぁぁ!」
地面に叩きつけられた剣を紙一重でかわし、キスイは手直にあった木材を持って野盗の背後に回ると足場を蹴ってそのまま後頭部を得物の勢いのままに振りおろした。
野盗は脳震盪でも起こしたのだろう、地面に伏せる。その頭を、キスイはぐっと踏みつける。まるで、地面に擦り付けるように。
「去れ。さもなくば、殺されても文句は言うまい?」
子供とは思えない冷徹な声がその身体から絞り出され、またリーダーの姿を目視した野盗の集団は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ここに残った野盗は、リーダーの彼一人。
が、その残り一人でさえもキスイは躊躇いなく脇腹から抜いたナイフで喉を切り裂き、殺した。
生き残るためには、襲われたからには応戦しなければならない。そして、その遺品で暫くの生活を潤おす。それが、この集落の生活サイクル。
遺体から遺品を奪うだけ奪った頃合いに、一人の女性が濡れた布を持ってキスイに駆け寄ってきた。
「キスイちゃん、あんまり無理しちゃ駄目よ?」
そう言いながらキスイの返り血を拭うのは、あの日キスイを抱き止めた友人だ。
「……でも、皆の命は……母上が命をかけて遺してくれたものだから、ボクに守る責任があるよ」
そう微笑んで言うと、友人は痛ましいような顔をした。
そしてそのまま、抱き締めてくれる。その体温は年齢こそ違えど、母上のもののようで安心した。
「キスイちゃん、変わっちゃったよ。お母さん殺された日から、変わっちゃった。急に言葉遣いも服装も男の子みたいになっちゃったし……」
「だって、小さくても男がいるってだけで違うだろう?」
「……馬鹿!」
そう言いながらも抱きしめてくれる彼女の体温は、やはり、暖かい。
そして、ボク達が奉仕種族として働いていた列強種族、トロウルが『同盟』の冒険者によって殲滅させられたと知ったのは……随分と、後の話だった。